ご無沙汰のブログ更新になってしまいました。暖冬の予定がしっかり厳冬な様相だったり、それでいて日中の陽射しにどこか春の訪れを予感させるような気分になりますね。
ブログの方でご無沙汰していましても(いくつか持っている)Twitterの方でご縁あって実際にお会いしたり、なかなか元気にやっておりました。また、メールでメッセージくださったり、情報系ブログでもないのに様々なカタチでの「ご縁」に感謝しています。
さて、ご無沙汰の間にぼくなり(@BOKUNARI)は広島県へと旅をしてきました。もちろん今回もお仕事半分のドサクサ道中でしたけれど…。
一応、広島といえば…なグルメを堪能してきましたので
冒頭のピースサインもさることながら、広島県を訪れたなら必ず堪能して帰りたいグルメといえば「広島焼き」「牡蠣」ですよね?
仕事のドサクサで訪れた身であることと、(お土地柄なのか?)日曜日を定休日にしている店舗が多い街ですので、隠れた銘店というワケではございませんで…観光地としても有名な「お好み村」…
ど真ん中を行くのも何なので…というひねくれ者なぼくは、そんなお好み村でも「本家 村長の店」で腹ごしらえしました。
「村長のこだわり」☆当店はご存知「お好み村」の創業者である店主の祖父 古田正三郎、初代村長の味と人情を受け継ぎ誕生いたしました。五十年培われた広島名物お好み焼きと、地物カキ、小イワシなどの瀬戸内の魚介・野菜を使った体にも優しい『広島の味』『お好み焼の心』をお楽しみ頂けます。
食べログ
…と、ネット上では情報がありますが、正直「流れ作業気味の接客」な印象でしたのが残念であります。
さて、広島の旅で忘れてはいけないのが「被爆地」としての歴史
こちらの写真をご覧いただきますと、ANDERSEN(アンデルセン)という看板が掲げてあるのをご覧いただけますでしょうか?
あんでるせん。この名称で「ピン」こなくても…
このロゴというか看板で「ピンときた!」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。割りと全国の百貨店の中に店舗があるのでご存知ですかね?
パンや洋菓子などで有名な「ANDERSEN(アンデルセン)」です。
被爆建物として実は有名な場所なんです
この建物、現代的なビルやテナントが立ち並ぶ、広島駅のほど近くにある本通り商店街に面しているのですが…
原爆投下20年前の1925年、三井銀行広島支店として新築されたこの建物は、天窓から外光が差し込む吹き抜けの周囲に中2階の回廊がある、ルネッサンス様式の美しい建物。
アーチ窓を配した重厚な外壁は被爆を経てなお生き残り、1967年にベーカリーとして生まれ変わりました。
そして今、「パンからはじまる、ヒュッゲな暮らし。」をこの建物からお届けしています。
広島アンデルセンの建物の歴史
…と、なかなか歴史ある建造物なんです。
しかも、老朽化などもあって、ぼくが訪れていた1/17の営業をもってこの店舗での営業がラストということで、歴史を目に焼き付けておこうと訪れてみました。
確か、高校時代に修学旅行で訪れた以来で外観は正直変わっていないような印象ですが、大人になった現在に訪れてみますと、戦時下の…被爆地としての原爆の恐ろしさの雰囲気を感じる佇まいな気がします。
地元放送局のニュースを拝見したら、被爆の跡の残る部分は遺したカタチで立て替えをするとういう旨を伝えていましたが、建設され被爆したままの姿を見れるのは最後の日でしたので、ぼく(@BOKUNARI)も戦争を体験したことはないけれど、いつの日か後世に「伝えねばならない時」が来たら、こうした歴史の断片を伝えないといけないのかもしれません。(そんな世の中が来なければそれに越したことはないですが)
「ANDERSEN HIROSHIMA」同地で新店舗が完成するまでの期間は、仮店舗での営業でご当地・広島の方には美味しいパンや洋菓子を提供されるようなので、なんとも平和で親切な時代であることに感謝であります。
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